来年もルミナリエに逢いたい

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KAIROS-KIYOMI こと
岡田 清美です

今年の神戸ルミナリエ、昨日閉幕しましたね。

開催には多額のお金がかかってしまい、
毎回、今年は開催するのかと、
いつもシーズン前には心配になりますが、
今年も無事に開催されて、神戸市民としてはホッと安心しました。

私が初めてルミナリエを見たのは
あの阪神大震災があった年、
1995年の12月

その当時の私は、
神戸市灘区で被災しました。
家族はみんな無事でしたが、
家は倒壊し、
両親は避難所生活を余儀なくされ、
私は心優しい友人のところで、
半年間も居候させてもらいました。

屋根がちゃんとあり、
あったかい布団で寝かせてもらったことは、
今でも心の中にずっと忘れずにあります。

その当時の私は、お料理も洗濯も満足に出来なくて、
エラい子を迎えてしまった!と、
友人は後悔していたとは思いますが、
その半年間、全く喧嘩もなく(たぶん我慢してくれていたのかなぁ…)
彼女のお蔭で、人生で本当にとっても濃いー、半年間を過ごしました。

苦手だった炊事、洗濯なども克服して、
私が作ったカレーを彼女がおかわりしてくれた時は、
もう、うれしくてうれしくてー♡
あの時のカレーは奇跡のカレーで、
あれから何度同じレシピでチャレンジしても、
なかなかあの味が出せないのです。
あの時は、彼女のためだけに食べさせるカレーだったのしれません。

当時は、震災で大事な友人を亡くしてしまったこともあり、
残された私たちは、生きて何をこれから頑張っていくのか、
それが見い出せない時が続きました…

その時、仕事先のお客様から、
「震災で辛いこともあるけど、
家が無くなった人、残った人もみんな震災に遭った事には変わりがないのよ」
と、その時は無くしてしまったものだけを見ていた私。
そう、みんな同じなんだと思ってから、
前を向いて何とか歩いて行こうと心に決めました。

人生は一度きり!と、一生忘れられない恋愛もしました。
ずーっと、生まれてきて一本調子の私でしたが、
人間的にもずいぶんと私を成長させてくれました。
周りの気遣いとか、少しは人の心を大事にするようになったかな…

両親はそのあとも避難所生活が続きました。
避難所から退去を命じられても、
仮設住宅は全く当選しなくて、
行き場がないため困っている母は、
TVの全国ネットのニュースに出演したこともありました。
「避難所から退去を命じらていますが、
今はどういう心境ですか??」とインタビューされたとの事。

その後、運良く修理すれば住めそうな家が見つかり、
家族3人で暮らせる日が戻ってきました。

居候させてくれた友人宅からの旅立ちの時、
「一人で寝るのが寂しいよー」と、
友人は残念がってくれました。
あれから22年経ちますが、彼女は今も大切な友人です。

その友人と見た、
1995年12月のルミナリエ。

現在は美しい電飾でその下にいると、
とっても眩しいくらいの灯りですが、
その当時の元町~三宮の町は、
復興が進んでいなくて、 まだまだ真っ暗でした。
でもあの当時のルミナリエの灯りは、
あたたかくて全てを包み込んでくれるような、とっても優しい光でした。

毎年、ルミナリエが開催されると、
神戸が元気になってくれて、良かったなと…

また来年もルミナリエに逢えますように。

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